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第四十六回高知お城まつり~高知城~

第46回高知お城まつり
TOP   高知城   MAP   2004土佐之國時代絵巻
 重要文化財にもなってる高知城だよ~。もっとよく見たい人は、クリックして!大きい画像が開くよ♪

約400年の歴史…

誰を乗せたのかな?

庭に面した廊下

どことなく気品が…?

広いですね~

見下ろせば…

桜並木を歩いて

立派な庭です

ちょっと遠くから

ふと、視線を巡らすと
高知城について
  追手門 高知城の正門。扉には立派な大肘壺、門の両側を大きな石垣が積み上げて、門前が枡形状に。これは敵をはばんで石垣の上にある狭間塀の三方から攻撃できるようにしたもの、門外の巨石に「エ」「ウ」などが刻記されたものがある。
城の階段 追手門を抜け、板垣退助銅像の左手階段を行くと、石段は攻めるのは上がりにくく、守るのに折りやすい丁度よい足幅になっている。
杉の段 かつて老杉が群生していたのでその名があった。ここの井戸水を毎日三回、藩主の居住する二の丸御殿に運んだという。
鉄門跡 杉の段から右手の石段を上がるとある。門扉に多数の小鉄板を打ちつけてあったので、その名がある。門内は小さな枡形形状になっており、石垣の上から攻撃できるようになっている。
違い門と忍び返し 鉄門跡から詰門の方へと行くと、門内に入ることができても筋違いのからくり門になっている。ここから天守閣を見上げると石垣を上がる敵を防ぐための天守の下部に忍び返しと石落としが設けられている。
三の丸 藩主が新年などに家臣を集めて儀式を行う大書院があった。現在は桜の木が沢山植えられた庶民の広場になっている。築城の折、中高坂山の土を運び盛り土したと言われる。
二の丸 東南に本御殿、西南に藩主の居屋敷があった。西北には奥御殿と長局があり、その西端に小天守の様相を呈した三階建の乾櫓があった。南側の下段に梅林になっている梅の段がある。
詰門と廊下門 詰門は二の丸と本殿を結ぶ廊下で、侍の間、中老の間、家老の間があって本丸を警固する武士たちの詰所があった。本丸の入口には廊下門があり、その上部に多門櫓が建てられている。
本丸正殿と納戸蔵 本丸の書院は正殿、溜の間、玄関からなり、右手に藩の重要書類を収蔵した納戸蔵がある。正殿には一段高くした藩主座敷の上段の間があり、西側は武者隠しに通じる納戸で小襖をとりつけてある。襖には金箔押しの八双金具が打ちつけられてある。
天守閣 天守は三層六階(重要文化財指定は四重五階)の高さ18.5mの建物で、再建されたものの創建当時の構造形式を保っている。その姿態は千鳥破風、唐破風、入母屋破風を取り入れた風格あるつくり。最上階外側には回り縁と擬宝玉をつけた高欄をめぐらしている。これは初代藩主が江戸幕府の許可をうけてつけたもの。
黒鉄門 柱、門扉などに多数の小鉄板が打ちつけてあるのでこう名づけられた。
高知城略年譜
土佐24万石を襲封した山内一豊によって創建・経営され、以来約400年余りの歴史を有する南海の名城として名高い高知城…

年号
西暦
記          事
慶長6年
1601
・山内一豊土佐国に入国し浦戸城に居城
・現在の城山・大高坂山を新城の地と定め江戸幕府へ報告
・百々越前を総奉行として築城の命を下し地鎮祭を催す
・ 鍬初式を行い築城着工にかかる
慶長8年
1603
・本丸と二ノ丸の石垣工事が完成
・本丸・詰門・廊下門・太鼓櫓が竣工、初代藩主山内一豊が入城。この日城内において盛大な祝宴が催された
・大高坂山の地名を「河中山」と改める
慶長15年
1610
・河中山を「高智山」と改める
慶長16年
1611
・山ノ丸が完成、着工以来10年目にしてほぼ全城郭が整う
寛文4年
1664
・追手門を再建
元禄3年
1690
・下屋敷が消失
享保12年
1727
・城下町の大火で追手門を残し天守閣をはじめ城郭のほとんどを焼失
享保14年
1729
・深尾帯刀を普請奉行に任命し、城郭の再建に着手
延享3年
1746
・本丸の建設に着手
寛延元年
1748
・天守閣をはじめ櫓・城門などが完成。現在の天守閣はこの時のもの
宝暦3年
1753
・三ノ丸も完成、再建以来25年目にしてほぼ全城郭が整う
享和元年
1801
・追手門の改築
弘化3年
1846
・・天守閣の修理
明治4年
1871
・廃城となり郭中は一般に開放される
明治6年
1873
・公園化のため天守閣等の本丸周辺建築物と追手門を残し城郭建築物がとり払われた
昭和9年
1934
・国宝に指定される(昭和25年文化財保護法により重要文化財となる)
昭和23年
1948
・各建物の修理を始める
昭和34年
1959
・修復工事完成
昭和62年
1987
・追手門矢狭間塀及び天守閣修理工事(3ヶ年計画)に着手
平成2年
1990
・修復工事完成



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