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過去の南海地震

1600年代以降の主な地震とその被害状況
  発生年月日
(マグニチュード)
被害状況等
慶長地震 1605年2月3日(M7.9-8) 東海・東南海・南海連動型地震
津波の被害が大きかった。
〔被害状況〕
津波が犬吠崎から九州までの太平洋岸に来襲し、八丈島で死者57人、浜名湖近くの橋本で100戸中80戸流され、死者多数。紀伊西岸広村で1700戸中700戸流失、阿波宍喰で波高2丈、死者1500余人、土佐甲ノ浦で死者350余人、崎浜で死者50余人、室戸岬付近で死者400余人など。
宝永地震※1 1707年10月28日(M8.6) 大津波が発生。49日後には富士山噴火。
〔被害状況〕
死者2万人余、倒壊家屋6万戸余、流出家屋2万戸余となった。津波の被害は土佐が最大。
室戸で1~2m隆起し、高知市の東隣の地約20平方kmが最大2m沈下した。
安政南海地震 1854年12月24日(M8.4) 津波発生。死者は千~3千人。
32時間前には安政東海地震が発生している。
〔被害状況〕
室戸で約1mの隆起、甲浦で約1m沈下。高知市付近では約1m地盤が沈下。
昭和南海地震 1946年12月21日(M8.0) 津波が静岡から九州にいたる海岸を襲った。
この2年前には昭和東海地震が発生。
〔被害状況〕
被害は死者1,330名、全壊家屋11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸に。
高知県の被害:沿岸には4~6mの津波が押し寄せた。死亡・行方不明者679人、負傷者1,836人、家屋全壊・流出4,846戸など大きな被害が出た。また、室戸で1.27m上昇、須崎・甲浦で約1m沈下。高知付近で田園15平方kmが海面下に没した。

※1:これまで宝永地震は、M8.6とされてきましたが、M9級だった可能性があることが判明し、2011年10月12日に日本地震学会にて発表されています。宝永地震の再調査の声もあがっています。また、これまで東海・東南海・南海の連動型地震と考えられていましたが、3つの連動型ではなく別の巨大地震だった可能性の声もあがっています。

〔被害状況:内閣府 防災情報のページ  記者発表・公表資料 過去の災害一覧より引用〕

1600年以後の南海地震と東南海・東海地震

昭和南海地震の被害の様子

写真:家屋の倒壊
家屋の倒壊
中村市大橋通二丁目付近

写真:ビルの崩壊
ビルの倒壊
高知市堺町付近

写真:揺れによる橋の落下
揺れによる橋の落下(9スパンのうち6スパンが落ちた)  中村市四万十川橋付近


写真:揺れによる堤防の決壊
揺れによる堤防の決壊
高知市葛島堤防付近

写真:地盤沈下による浸水
地盤沈下による浸水
高知市城見町付近


(写真提供:高知県)

地震碑

高知県内各地には地震碑が残されています。当時の震災の痕跡や教訓などが碑には記されています。

地震碑入野加茂神社震災碑 MAP
高知県幡多郡黒潮町大方入野。入野加茂神社震災碑は境内右手にあります。
(安政地震:地震後に、津波が7回に渡って押し引きしたことが記されています)
中浜港地震碑 周辺MAP
土佐清水市中浜 恵美須神社参道石段
(安政地震:高さ約6メートルの津波が4~5回入ったことや翌年の余震のことが記されています)
潮位碑 MAP
宿毛市大島はいたか神社
(安政の津波は石段の7段目まで、宝永の津波は39段目まで浸水)
小浦恵比寿神社 MAP
須崎市大谷 (昭和南海地震:当時の被災の様子や地震津波についての注意などが記されています)
萩谷名号碑 周辺MAP
土佐市宇佐町 (安政の地震:津波からの避難に関する教訓が記されています)
夜須観音山碑 周辺MAP
香南市夜須町坪井(安政の地震:揺れや津波の様子について記されています)

他にも、伊田海岸石碑(幡多郡黒潮町大方・金比羅神社)や池家墓碑(土佐清水市中浜峠)などの地震碑が各地にあります。

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