観光情報
三菱財閥の創業者
実業家・岩崎弥太郎

Information
住所 | 岩崎弥太郎生家 高知県安芸市井ノ口甲 |
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TEL | - |
FAX | - |
営業時間 | 9:00 ~ 16:30 |
休館日 | 月曜日 ※祝日の場合は翌日 |
入館料 | - |
お問合せ先 | 商工観光水産課 TEL:0887-35-1011 |
Website | - |

藩主・山内豊熈にも認められる才をもつ
土佐国(現:高知県安芸市)の地下浪人・岩崎岩崎彌次郎とその妻・美輪の長男として生まれました。幼い頃より文才を発揮し、14歳の頃には当時の藩主・山内豊熈にも漢詩を披露し才を認められるほどでした。
21歳の時に江戸へ遊学。安積艮斉の塾に入塾します。
1856年に父親が投獄された事を知り、帰国。父親の免罪を訴えたことにより、弥太郎自身も投獄されます。その後、吉田東洋が開いていた少林塾へ入塾。この時に後藤象二郎らと知遇を得ました。
21歳の時に江戸へ遊学。安積艮斉の塾に入塾します。
1856年に父親が投獄された事を知り、帰国。父親の免罪を訴えたことにより、弥太郎自身も投獄されます。その後、吉田東洋が開いていた少林塾へ入塾。この時に後藤象二郎らと知遇を得ました。

弥太郎生家に”三菱マーク”も
慶応3年(1867年)、後藤象二郎により土佐商会主任、長崎留守居役に抜擢、藩の貿易に従事することに。坂本龍馬が脱藩の罪を許され、海援隊が土佐藩の外郭機関となった際には、藩命により隊の経理担当となりました。
その後、土佐商会を九十九商会と改称、海運業に従事しました。
明治6年(1873年)には九十九商会を改称した「三菱商会」を設立。この時に、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせた"三菱マーク"が作られました。
その後、土佐商会を九十九商会と改称、海運業に従事しました。
明治6年(1873年)には九十九商会を改称した「三菱商会」を設立。この時に、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせた"三菱マーク"が作られました。